部屋にはだれもいなかった。Day0

子ども部屋のカーテン 子どもの自殺未遂の記録

目覚ましが鳴らなかったあの朝

前の日私は下の子の代休に付き合ってたくさん遊び、その日は疲れてグッスリ眠っていた。

6時から5分毎に鳴る、あの子の目覚まし時計が鳴らなかった。いつも自分の第二の目覚まし代わりにしていたアラームが聞こえなくて、少し寝坊してしまった。

なんとかお弁当間に合うかな?

朝ごはんの準備と共に、超スピードでお弁当の準備をする。

7時を少し過ぎた。

下の子が起きてきた。

まだあの子は起きてこない。

夕べはまた遅くまで起きてネット読書していたのかな?

しかたない、お弁当作りを少し中断して起こしに行くか。

あの子の部屋へ行って、扉を開けた。

でも、誰もいなかった。

窓から入ってくる朝日がとっても眩しくて、明るく照らし出されたあの子の部屋が余計に大きく、ガランとして見えた。

あの子がいない

人は、想定外のことが目の前に広がると頭をフル回転させて納得する理由を探そうとする。

今日は朝練だったかな?

→いやいや、前日にそんなこと言っていなかった。

それとも早朝補習の日だったかな?

→いやいや、補習開始はまだだ。

泊りに行くって言ってたっけ?

→いやいや、平日だし、泊りにいくわけない。

夜中にこっそり友達とラインでやり取りして泊りに行っちゃって、うっかり寝ちゃったのかな?

うっかり寝ちゃって帰りづらくなっちゃったのかな?

→多分そうかも。

主人を起こして、あの子がいない、と伝える。

きっと、帰ってこられないんだ、と自分に言い聞かせてみたけれど、やっぱり胸騒ぎが止まらない。

主人は急いで着替えて、

「家の周りを探してくる。」

と自転車ででかけていった。

パソコンのデスクトップにあったもの

あの子はいつも、パソコンの読みかけのネット小説や動画、ゲーム解説ページのタブを開いたままにしている。

警戒心がないというか、何も考えていない、というか、ラインの画面も開けっぱなしになっていることが多い。

昨日の夜、ラインで友達とやり取りしたのだろうか?

いつも開けっ放しのライン画面がなかなか開かず、動転しているのもあって違うプログラムを立ち上げてしまったりする。

そうだ、ラインアプリはデスクトップに貼ってあったような気がする。

すべてのタブを閉じた。

いつもの並びのアイコンの下に

遺言

というアイコンが追加されていた。

遺書じゃなくて遺言ってなんだよ

血の気が引くのがわかった。

人は、想定外のことが起こるとそしてその破壊力が凄まじいと逆に冷静になって、突っ込みを入れるようだ。

遺言ってなんだよ。どっかの金持ちのじーさまか!

多分ここからは、心と体が、感情と自我がバラバラになっていたように思う。

興奮と動揺と混乱と後悔と絶望と怒りと悲しみを無理やり沈めていた。

遺言・・・なんかの冗談でしょう?

家族以外はみな、冷静

外で探し回っているであろう主人に電話をした。

まだパジャマだった下の子が新聞を取りに行って、

「これ入ってた。」

とあの子が持ち歩いていた家の鍵を差し出た。

これは、ホントウだ。

川か?線路か?ビルか?公園のトイレか?

あの子がいそうな場所が頭の中をぐるぐるしながら警察へ電話した。

妙に冷たく、冷静で事務的な電話の向こうの女性警察官。

無性に腹が立った。

学校へも電話をした。

やっぱり事務的な対応をする教頭。

あったまに来た。

人がいなくなるって、そんなに軽く扱われることなのか。

しばらくして、警察官が二人来た。

部屋にあの子がいないとわかって、まだ1時間も経過していなかった。

今思うと、あの1時間はあっという間だったけれど、24時間以上あるように感じた。

おわりに

このページは自殺未遂をした家族(子ども)を抱える私の体験を振り返ったものである。

こんなプライベートなことを、ブログという媒体を通して全世界に公開しているなんてどうかしている、と自分でも思う。

私の個人的な体験を振り返ってもあの子が自殺未遂をした事実は変わらないし、それを受け入れる日が来るのもわからない。

でも、なぜか書き残しておきたいとずっと思っていた。

今日から少しずつ、あの日もその前からもずっと記録をつけていた手帳を元に記事にしていきたい。

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