大バカ野郎!しっかり治して家に帰ろうね Day0その2

集中治療室 子どもの自殺未遂の記録

深刻な顔をした警察官

あの子が遺書を残して部屋からいなくなり、110番通報をして30分ぐらいたったころだったか、警察官が二人うちへ来た。

ここで、警官が来るまでの記録を残しておくことにする。

あの子の手掛かりになるように、家を出て行った当時の服はなんだったかを調べるためにタンスの中を引っ掻き回した。

あの子の一番のお気に入りの服がなかった。

朝食はもちろん食べていないが、お弁当の味見がてらつまみ食いをしていた。

私は精神的なダメージがすぐに胃腸にくるタイプだ。

この日もお弁当の味見程度で刺激になり、トイレへ駆け込んだ。

その後、長い1日になりそうだ、いろんな人と会い、話すんだろう、と服を着替え3分で終わるいつもの化粧をした。

先のことを考えるなんて余裕があった。

そうこうしているうちに家のチャイムがなり、深刻そうな顔をした30代半ばぐらいの警察官と見習い中か、若い警察官の二人がやってきた。

警察がしていったこと

家にあがると深刻そうな顔をした警官が、

「本人と確認できる写真と遺書を見せてもらえますか?」

と言った。

生徒手帳を見せ、パソコンの遺書を開いた。

警官はいずれも写真を撮っていた。

そのほかに、身長・体重・いなくなった時の服装・失踪時間などを聞かれただろうか?

メモにないので、詳細が思い出せない。

私が深刻そうな顔をした警官と話している間、主人はもう一度あの子を探しに行こうとしていた。

あとで聞いたが、若い警官に

「お父さんも家にいてください。」

と止められたそうだ。

主人はその時に、あの子は見つかっているのかもしれない、とピンと来たらしい。

命に別状はありません

警官の確認作業の後、夫婦そろってテーブルについた。

深刻そうな顔をした警察官は、

「大変申し上げにくいのですが、お子さんとみられる方が昨夜遅くに○○病院へ搬送されています。

〇時に飛び降りの通報がありまして、救急車で運ばれたようです。通報当時は意識があって、話せた状態だったようですが、今は人工呼吸器を使用中です。ですが、命に別状はないです。」

私は、「病院で搬送された。」と聞いた瞬間に

よかった!!!

と大きな安堵のため息と共につぶやいた。

生きていても、死んでいても子どもの居場所がわからない、というのが一番避けたかったからだ。

冷たいだろうか?

あの子の所在がわからないまま何年も過ごすことなんて多分、きっとできない。

目が覚めている間、希望と絶望の時間だけで埋め尽くされるなんて、弱っちい私には耐えられない。

あの子がどう、ということよりも、自分のことしか考えていないのだ。

こういうギリギリの状況は自分のイヤな姿をこれでもかとあぶりだす。

それにしても、あの警察官はいろんな説明をする前に、まずは命に別条がないことをいの一番に伝えることはできなかったのだろうか?

あんなに深刻そうな顔をして話しを切り出されたら、やはり最悪のケースを想像してしまうだろう。

大事なことを一番に伝える。

これも今回のことで身に染みたことである。

目が覚めたらアンパンチだ!

タクシーを呼び、警察官二人と病院へ向かった。

病院の玄関を入ると私服の警官が二人待っていた。

その人たちと合流し、ICUへ向かう。

あの子は包帯だらけ、チューブだらけで人工呼吸器につながれベッドに横になっていた。

ベッドサイドのモニターの血圧も脈も酸素の値も健康な若者らしい値だったが、もちろん鎮静剤が24時間点滴されているので本人はビクともしない。

折れていない方の手をそっと握ってみた。

手のひら、爪の間・・・顔も頭も足も看護師さんが丁寧に拭いてくださったとはいえ、血がこびりついていた。

本当に飛び降りちゃったんだなぁ。

とあの子の顔を見ながらぼんやりと思った。

担当の看護師さんから今の状態について簡単に説明があった。

脳にも大きな損傷はないらしい。

わけのわからないことが起きていると人はハイになる。

担当看護師さんにあの子の普段の様子を少し話して、

「意識が戻ったらアンパンチですよ!」

「本当にバカたれ!しっかり治して家に帰ろうね!!」

なんて笑顔で言っていた。

生きている、そして命に係わる大きな損傷がない、という事実が今の状況を少しでも笑いに変えて、

  • 自殺未遂の子を抱えたかわいそうなお母さん
  • 家庭環境に問題がありその元凶かもしれないお母さん

という、自殺未遂にありそうな他人のジャッジを逸らす小細工をしていたのかもしれない。

こんな時まで素直になれない自分に心底ガッカリする。

他人に弱みを見せない癖がこんな時にも顔を出す。

心配と動揺と安堵と怒りと反省と後悔と、素直に表現できるなら、いろんなことをため込まず、心身のバランスをもっと早く取り戻せたかもしれない。

今もやっぱり不安定なままで、その矛先は主人へ向く。

この日以来、普段携帯電話など携帯していない私が肌身離さず生活することになる。

つづく。

おわりに

このページは自殺未遂をした家族(子ども)を抱える私の体験を振り返ったものである。

こんなプライベートなことを、ブログという媒体を通して全世界に公開しているなんてどうかしている、と自分でも思う。

私の個人的な体験を振り返ってもあの子が自殺未遂をした事実は変わらないし、それを受け入れる日が来るのもわからない。

でも、なぜか書き残しておきたいとずっと思っていた。

少しずつ、あの日もその前からもずっと記録をつけていた手帳を元に記事にしていきたい。

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