入院当日から一週間お世話になった、ICU(集中治療室)。
そこで過ごした日々を振り返る
非常に訓練された看護スタッフたち
ICUというと、昼夜問わず入院や処置が行われ慌ただしく、入院患者一人一人のケアはもちろん、付き添いの家族のケアまで十分まわらないイメージがある。
あの子がお世話になった病院は違った。
入院当初から家族にも話しを聞く時間を十分設けていただいたし、ルーチンの検温だけでなく、患者本人にもゆっくりと時間をとって(といっても重症患者が多くいるICUであるため、限りはもちろんあるが)話しを聞いていただいたようだ。
「話しやすい看護師さんが一人いたんだけどなぁ。(病棟)変わっちゃったからなぁ・・・」
とあの子がICUを出た後に寂しそうにポツリと言っていた。
時折、夜中も鳴るモニターのアラームの音で何度か目が覚めることはあったようだが、なにせ、持続的に鎮静剤が注入されているため、うっかりするとすぐにウトウトとしてしまうので、それほど気になっている様子ではなかった。
ICU滞在中、あの子自身は快適に過ごせたようだが、幸か不幸か、記憶としてはほとんど残っていない。
「若い看護師にはタメ口なんですけど、私みたいな年配者には敬語使うんですよ。よくお話ししてくれます。」
とあの子のユニークさをこっそり教えてくれた看護師さん含め、記憶にないのはちょっともったいない気もした。
そんな対応だったのは、たまたまなのか、またはICUに入院中の患者の数が少なかったのもあるかもしれない。
いい噂を聞かないこともあった病院だったが、実際はスタッフそれぞれがよく訓練された素晴らしい病院なのだな、と感激していたが、それもICU限定だったようだ。
一般病棟へ移ってからの看護師の質の違いは明らかだった。
検査・手術・説明の毎日
入院直後のMRI・CT・レントゲンから始まり、各科医師によるその結果の説明、治療計画、手術の説明と同意書記入、手術・・・
あの子が飛び降りた、という大きなショックをどこにやればいいのかわからないまま、親は毎日説明を聞き、何枚もある必要書類にサインをし、次の説明の日にちと時間の調整をし、頭の中はパンクしそうなはずだが、それさえも感じられないくらい、ただひたすら目の前に降ってくる予定を振り分けこなす毎日だった。
その疲れは同様にストレスを受けている下の子の不安定さをどうしても受け止められずについ当たってしまったり、洗濯物を干しているときに急に腕に力が入らなくなったり、突然涙が溢れて止まらなくなったり、軽いうつの症状となって出ていた。
幼児の頃のようなスローペースと本来のあの子の姿
ICUにいた間は鎮静と鎮痛のためにずっと点滴が投与されていた。
その薬の作用であの子はとてもゆっくりとしゃべった。
ゆったりと話す様子は幼児だったころのあの子を思い出させた。
ところが、頭の中は実年齢なので、妙に冷静に自分の今の状況を振り返ってみたり、そのギャップがかわいらしくておかしかった。
下の子がお気に入りの本を貸してあげる、と私が代理で持っていけば、
「ありがとって、言っておいて。」
とニッコリと笑い、
最近はほとんど触っていなかった趣味関連のものが載っている雑誌を持って行けば、
「やっぱりいいなぁー、かっこいいなー、やっぱりいいよー。」
と幸せそうにページをめくり、
ここ数ヶ月見たことがないような穏やかな表情と口調で話すあの子を見て、鎮静剤の作用があるとはいえ、キリキリとしたストレスフルな毎日を送っていたことが容易に想像できた。
育て直しはできないけれど
幼さが残るあの子の話し方を見て、もし、親の育て方に今回の原因があるのなら、生まれた時から現在の年齢まで、ここで育て直しがしたいと思った。
けれども、それは叶わないし、同じ結末を迎えないという保証はない。
「ゆっくり休もうね。」
あの子が目を覚まして、人工呼吸器が外れた時に伝えた言葉だ。
生きている、それだけでいつからでも何度でもやり直せる。
これは私たち親にとって、本当にありがたいことだった。
あの子はまだまだこれから、という年齢だ。
焦る理由は何もない。
ゆっくり
これは、あの子にはもちろん、私自身にもいつも言い聞かせる言葉になった。
おわりに
このページは自殺未遂をした家族(子ども)を抱える私の体験を振り返ったものである。
こんなプライベートなことを、ブログという媒体を通して全世界に公開しているなんてどうかしている、と自分でも思う。
私の個人的な体験を振り返ってもあの子が自殺未遂をした事実は変わらないし、それを受け入れる日が来るのもわからない。
でも、なぜか書き残しておきたいとずっと思っていた。
少しずつ、あの日もその前からもずっと記録をつけていた手帳を元に記事にしていきたい。
コメント