退院以来,学校へはずっと私が送り迎えをしている。
正直こんなに長く送迎をするとは思っていなかった。
回復していることは素直にうれしい。けれども,人間は欲張りな生き物で現状に満足できなくなる。死ぬ可能性の方が大きかったのに,もっとこうあって欲しいと望んでしまう。贅沢だとわかっているのに。
欲張りになっていく
日常生活を送るには支障はない。
最近は階段も駆け足で上り下りするようになった。
体育の長距離走も参加している。
友達のところへは自転車で出かけていく。
なのに,学校へは当然のように毎朝
「行くよー。」
と洗い物をしている私を呼び,車へ乗り込む。
一日パソコンの前に座ってるじゃない。
前頭葉が完成するのは20代前半っていうよ。ネットの世界どっぷりで大丈夫なの?
体力つけなきゃこれからが心配。
健全な精神は健全な肉体に宿るっていうじゃない。
etc.
わかっている。全部あの子が心配だから出てくる言葉。
あの子が適度に運動して勉強して,もちろん自転車で学校へ行く以前と同じ姿を私が見たいだけのこと。
日常生活を送るには支障はない。
最近は階段も駆け足で上り下りするようになった。
体育の長距離走も参加している。
友達のところへは自転車で出かけていく。
十分なはずなのに。
自分の不安を消したくて,どんどんあの子のこんな姿が見たい,という欲が出てくる。
いつまでも当たり前のように車で送ってもらうのを待っている,理想とは違うあの子にため息が出る。
もちろん,本人の前ではそんな素振りは見せないけれど。
自転車でのんびり行ってみたら??
送迎が嫌なら,あの子にそうハッキリ言えばいい。
送迎は嫌なのか?
嫌ではない。ただただあの子の体力の無さが心配なだけ。BMIでいうなら余裕で低体重である。
「明日から自転車で行ってね。」
サラッと言えたらどんなにいいだろう。
うっかり言ってしまって,見放されたとあの子が思ったらどうしよう。
そんなことをぐるぐると考えながらあっという間に数か月が過ぎてしまった。
そして,その時はやってきた。
学校行事で通学カバンがほぼ空っぽの日だった。
チャンスかもしれない。
慎重に言葉を選び,頭の中で何度もシミュレーションをする。
「明日は荷物もないし,のんびり自転車で行ってみたら?暖かいし気持ちいいだろうねぇ。」
あの子は
「えっ!」
と小さく叫んだ。
やっぱりまだ早かったか。私から言い出すことではなかったか。色々と言葉が浮かぶ。
夕ご飯の後
「・・・明日ゆっくり自転車で行ってみるわ。晴れてたらね。」
とあの子は言った。
初めての自転車通学
随分寒さが緩んだとはいえ,その日の朝はそれなりに冷え込んでいた。
「手袋いらない?ネックウォーマーは??」
「いらない。寒くないし。」
そしてあの子は立ちこぎで行ってしまった。
玄関先で私と主人,そして飼い猫と一緒に見送った。
まるで初登校の小学生を見送るようだった。
下の子はあの子よりも先に家を出る。
久しぶりに主人を玄関で見送った。
なんだか落ち着かない。
自転車で行ったら行ったで,心配になる。あんなに学校へ自転車で行くことを望んでいたのに。
あの子が飛び降り自殺未遂をして以来、私の思考は悲観論者ベースとでもいうのか,手放しでいろんなことを喜べなくなってしまっているようだ。
まだ病人モードなんだ
それからしばらくして,運動系の大会のためやはり通学カバンが軽い日があったので,あの日のように
「ゆっくり自転車で行く?」
と何気なく聞いてみた。
「あのね,ずっと立ちっぱなしなの。疲れてるのに更に疲れさせるってどういうこと?!」
と返ってきた。
私はもちろん行事の詳細は知らないので,責められるように言われてムッときた。
これがあの子の特徴だ。
自分の中だけでイメージを完結させて話し、相手の理解が遅いと腹を立てる。もちろん,これでも小学生のころに比べたら随分マシになったが。
アスペルガーなどの特徴に当てはまるかもしれない。
私はムッとした気持ちが表情と声のトーンに出ないように慎重に
「ふーん,そうなの。」
と返事をした。
私たち夫婦にとってはすっかり回復していると思っているあの子の体調だが,あの子自身にとってはそうではないということがわかった。
あの子はまだ病人モードなのだ。
こういう周りとの気持ちのズレが本人の精神的な重荷になっていくのだろうと思う。
かつて自分が産後うつになった経験からもそれを思う。
ムッとしたけれど,あの子の考えていることがわかってよかった。
私たちはあの子のペースで歩き出すのを見守るしかないのだから。
そして新学期
何度目かの新学期がまた来た。
あの子は初日から自転車通学をしている。
朝は出かけるのを見届けるし,予定より返りが遅いとソワソワするのもまだ変わりない。
そのうち洗い物や洗濯機を回しながら
「行ってらっしゃーい。」
と呑気に声だけかける日がくるのだろうか。
おわりに
このページは自殺未遂をした家族(子ども)を抱える私の体験を振り返ったものである。
こんなプライベートなことをブログという媒体を通して全世界に公開しているなんてどうかしている,と自分でも思う。
私の個人的な体験を振り返ってもあの子が自殺未遂をした事実は変わらないし,それを受け入れる日が来るのもわからない。
でも,なぜか書き残しておきたいとずっと思っていた。
少しずつ,あの日もその前からもずっと記録をつけていた手帳を元に記事にしていきたい。
コメント
今、同じく自殺未遂をした娘が手術中です。その待ち時間にいろいろ調べてて、こちらのブログを見付けて拝読しました。
娘は息子さんより年齢が上で、うつ病で精神科にもかかっていたので状況が違うのですが、飛び降りた建物の管理人さんへのお詫び等気が付かなかったことを知れて良かったです。
我が家の場合、予兆に全く気付かなかった訳ではないのに止められなかったのは後悔してますが、本当に、生きていてくれて良かったと心から思います。
コロナ対策で一人で手術が終わるまで待っている心細さが、このブログのお陰で少し紛れました。
お辛い経験を思い返すのは大変だったと思いますが、私の様な人間の救いになると思います。
書いて下さって、ありがとうございました。
お辛い中、こうしてコメントを残していただき本当にありがとうございます。
コメントを残してくださった時間帯は、あの子はまだ氏名不詳のまま人工呼吸器につながれて眠っている時間帯でした。
お嬢様のいのちが助かったこと、本当に良かったです。
手術の成功をお祈りしております。
親御様も心休まるときはないかと思いますが、こんな時だからこそ、ご自身のお体を大切になさってください。