準緊急手術
飛び降り自殺を図ったあとの骨折部位の手術は、
- 予定された手術ではない
- 早めに離床を進める
- 早めの手術の方が予後がよい部分がある
ということで、準緊急の手術といえる。
予定手術の隙間にあの子の手術をねじりこんでいただくのだ。
入院してしばらくは、毎日いつ手術になるかもわからず落ち着かなかった。
合計3回の全身麻酔での手術
3回手術をした、といっても、1回につき一か所ではない。
他科のドクターと協力して、同時に何か所か行う手術もあった。
もちろん、すべて全身麻酔である。
一度目の手術は8時間
二度目の手術は6時間
三度目の手術は8時間
骨折は粉砕だったり、解放骨折だったりで、手術前のレントゲンに写る骨は文字通り粉々だった。
なん十本ものボルトを入れ、プレートで固定し、あんなにぐちゃぐちゃだった骨がほぼ、元通りの形になったレントゲン写真を見て感謝の気持ちももちろんあったが、
職人だな
と、妙に感心した。
本人は人工呼吸器が外れても痛みのコントロールのために24時間鎮静剤が点滴されていたので、ほとんど覚えていないらしい。
ハッキリと覚えているのは、手術後に傷も何もない目がとても痛かったことだという。
長時間の付き添いとめまい
手術の間は家族の誰かが病院内にいることになる。
朝一番に病院へ行き、手術室へ入るまでを主人と見送り、その後一旦主人は仕事へ。
仕事にひと段落ついたところで二人で待機しているか、私と交代した。
入院直後の大きなショック状態からは抜け出したが、日が経つごとに疲れが取れなくなってきていた。
- とにかく胃が痛い
- ご飯が食べられない
- 食事をするとお腹を下す
- 常に体が熱っぽい
- 頭がボーッとする
- だるい、眠い
- 脱力感
私は風邪や睡眠不足など、体調不良だとめまいが出る。
二度目の手術の付き添いの日にとうとうそのめまい発作が出た。
逆に、一週間以上もたってめまいがようやく出たことに驚いた。
たまりにたまって出ためまいらしく、やはり症状はひどかった。
目を開けると吐き気で動けなくなるため、目を閉じたまま付き添いの母の腕にしがみついて駐車場から病棟へ歩いた。
こんな風に母の腕につかまりながら歩いたのは何年ぶりだろう。
年齢的に反対の立場になるはずなのにな、などと思いながら控室までの長い道のりを歩いた。
術後の痛み
あの子はもともと痛みに対して鈍感だ。
骨折の程度からして相当痛いと思うのだが、ごく少量の鎮静剤の持続投与で痛みはほとんど感じていないようだった。
入院二日目の人工呼吸器を外す前に鎮静剤の量を減らしたときに、粉砕骨折している両足をギプスをつけたまま自由自在に動かしていて驚いたものだ。
背中の手術の翌日にはベッドを上げておかゆを食べていたし、テレビを見たり好きな雑誌を眺めたりしていた。
一般病棟に移る頃には寝る前の頓服だけで痛みのコントロールもできていた。
それが、一番ひどい骨折だった足の手術後だけは違った。
痛みで夜寝られなかった経験は今まで一度もなかっただろう。
内服薬ではまったく効果がなく、痛み止めの注射をしてやっとウトウトしていた。
それも、手術翌日だけであとは寝る前の痛み止めの内服で過ごしていた。
痛みの感じ方は人それぞれだけれど、鈍感なだけ術後の痛みに苦しまずにラッキーだったかもしれない。
ただ、骨折の影響による感覚麻痺と痺れは今でも続いている。
おわりに
このページは自殺未遂をした家族(子ども)を抱える私の体験を振り返ったものである。
こんなプライベートなことを、ブログという媒体を通して全世界に公開しているなんてどうかしている、と自分でも思う。
私の個人的な体験を振り返ってもあの子が自殺未遂をした事実は変わらないし、それを受け入れる日が来るのもわからない。
でも、なぜか書き残しておきたいとずっと思っていた。
少しずつ、あの日もその前からもずっと記録をつけていた手帳を元に記事にしていきたい。
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